〈pw連詩組と北の仲間たち〉盛会でした!

4月22日、札幌中島公園にある豊平館で行われたトークと詩の朗読会に行って来ました。


 

ツイッター連詩という、同時性と広域性を持つ共同詩ジャンルを生みだし大きく育ててきた宮尾節子さんや全国各地の連詩の仲間、そして道内の詩人たちも加わっての朗読会です。

豪華な朗読者たち! そのうえ、場所は国の重要文化財・豊平館という贅沢!

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

雨の庭に鳩たちが出迎えてくれました。

白い鳩もいました。

 

会場の入り口に出演者・関係者の著書が並んでいます。

連詩組の西原真奈美さん・かとうたかさんのは、ご自身の手作り詩集です。

西原さんの詩集「まなうら」は紙質や色が多様で(中に小窓もあったり)、ひとつひとつ丁寧に造られています。

かとうさんの詩集「科学の仔」は真四角の小さなものですが、縦横の文字の組み方に工夫が見られ、内容も充実しています。どちらも手製ならではの心のこもったもので、感心しました。

 

第一部は宮尾節子さんが「ツイッター連詩・共同詩について」その成り立ちから現在に至るまでを説明することから始まりました。

その誕生の前夜から知っていた私も同席させていただき、たのしく対談。

朗読は私から。

先ず宮尾さんの詩集『恋文病』から「中空遊泳」という詩を読みました。

数ある宮尾さんの詩の中で最も好きな詩です。

- 世界が深くて、手が着かない

宇宙に放り出された生(いのち)の絶対的な孤独と世界の深さ、その泣きたくなるほど峻厳な事実への愛と認識の出発を平明なことばで記した感動の詩です。

自分の詩からは宮尾さんに誘っていただいた連詩で気づいた、私の詩に頻出する鬼が最初に登場した30年ほど前の「鬼捲り」と昨年の「奔る春」の2篇を読みました。

宮尾さんは先ず、私の詩集『陸繋砂州(トンボロ)』から「林檎期」を読んでくださいました。ありがとうございました!

それから、東日本大震災で瓦礫の中から発見された息子の空の弁当箱を見た母親の「きれいに食べている」ということばがタイトルの詩や、お父様への想いのこもった「一〇〇m父」を朗読。

もちろん、「明日戦争がはじまる」も!

詩人・宮尾節子を一躍有名にした詩です。

嵐のような反響の中には賛同だけじゃなく辛いものも当然あったでしょうが、それに負けない強さが彼女にはあります。

そこに私は敬服します。

彼女は逃げない。

政治や社会だけじゃなく、それへの自分の違和感からも。

当日も円周率を「3」と教えることの疑問や怖ろしさを、図形や切り捨てられる数の表を使って説明していました。

会場の耳と目が集中していました。

 

第二部は、埼玉在住の宮尾さんと各地から集った連詩組のみなさん。

自己紹介と自作詩の朗読です。


 

左から宮尾節子さん、かとうたかさん、西原真奈美さん、大原鮎美さん、トミーさん

 

かとうたかさんは、生きあぐね書きあぐねていたがリツイートされてきた詩を見て、この長さならと始めたそうです。

かとうさんの朗読は、人工的な会話音を効果的に挿んだ印象的なものでした。

西原真奈美さんは、『詩と思想』4月号に「現代詩の新鋭」の一人として詩とエッセイを掲載された期待の詩人です! それに寄せて宮尾さんが書かれた解説「シャンパングラスで乾杯を!」は、“彼女の詩作(祈り)の姿”を伝えて心に残ります。

最初は自分の詩ではなく、好きな吉原幸子さんの詩行をツイッターで発信しようとしていた西原さんが宮尾さんに出会って詩を書き出し、詩誌に詩を発表し、こうして北の地で朗読することになったのですから、人生は面白いしすばらしいですね。

大原さんは津軽三味線と尺八の音楽をBGMに俳句を朗唱。2度繰り返し読んで進んでいく仕方は、耳にしっかり届けて好評でした!

トミーさんは本や紙片ではなくスマホを手に朗読を始めました。それから即興詩を、最前列で聴いていたご両親から題をいただいて始められました。札幌らしく「キタラ」という題でしたが、最後に“来たら”とみごとに決めて終えられました。

 

第三部は、道内の詩人たちの朗読です。

長屋のり子さんのご尽力で、たくさんの実力ある詩人が集まってくださいました。

いちばん若い柴田望さんは、アイパッドを手に朗読。トミーさんのスマホといい、時代(いま)を象徴していますね。

渡会やよひさんは、渡会さんらしい静かな朗読。大好きな彼女の朗読を久しぶりに聴きました。

村田譲さんは、大きな動きとマイク要らずの声、迫力たっぷりな朗読です。全身詩人ということばが浮かびました。

瀬戸正昭さんは、クラシック愛好家らしい選曲のBGMでゆったりと朗読。眠っても構わないと言うことでした(笑)が、ちゃんと起きて聴きました。

嘉藤師穂子さんは、発行されたばかりの土橋芳美著・長編叙事詩「痛みのペンリウク 囚われのアイヌ人骨」から「一端」を読まれました。このために「朗読の為の覚書」を用意されて臨まれた志穂子さんの並々ならぬ熱意と決意を、しっかり受けとりました。

森れいさんは、神話と鳥が印象的な詩を堂々とした声で読まれました。余裕を感じました。

木田澄子さんは、詩誌「游人」の仲間で30年来の友人です。途中で床を踏みならして朗読されていたのが、はじめて見る姿で新鮮でした。

そして、トリの長屋のり子さんへ、と思いきや、

この部の司会の長屋さん「次で最後ですが朗読したい方はおられますか」と会場へ声をかけたら、手を挙げた方が。

福士文浩さんという方で、第一部の宮尾さんの円周率の話に感応して即興で「π」という詩を披露されました。

トリの長屋のり子さんは「游人」23号掲載の「あなたとどこかへ。」を美しいソプラノで、おしている時間を気にしてか心持ち急いで朗読されました。

と、全プログラムは無事終了。

ありがとうございました!

会場には、萩原貢さん、渡辺宗子さん、坂本孝一さん、松中洋子さん、石井真弓さん、山内みゆきさん、埼玉から二宮清隆さんも駆けつけてくだり、うれしい出会い・再会も。

打ちあげも楽しく美味しく過ぎていきました。

重ねて、お礼申し上げます。

翌朝の北海道新聞に記事が載りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

追伸 ながらくご無沙汰のブログでした。もろもろ不調でしたが、元気になりました。それもこれも昨年末にこのイヴェントにお誘いいただき、この春の日を励みにしてきたからです。宮尾さんと皆さまに感謝いたします!

 


遊と聡 ー 映画「雷桜」と「オーバー・フェンス」

大雨がやっと上がったと思ったら、急に暑くなりました。

そうでした、夏でした。気がつけば7月も終わるところです。

今月は充実した日々でした。

図書館で調べものをしたり、友だちと会って話したり、長めの原稿も書きました。

そして、映画「オーバー・フェンス」の完成披露上映会にも行きました。

上映前に監督・俳優の舞台挨拶がありました。山下監督・オダギリジョーさん・蒼井優さん・満島真之介さんの登場に、芸術ホール超満員のお客様から歓声が沸きました。

山下監督は、「どの俳優もすばらしい。俳優たちの芝居を浴びてください。」と言われましたが、本当にみなさんすばらしかったです。主演のオダギリさん蒼井さんはもちろん、満島さん、松田翔太さん、北村有起哉さん、鈴木常吉さん、優香さんも。

わたしが特に驚いたのは、蒼井優さんでした。

前に観た「岸辺の旅」の優さんとは、また違う迫力でした。

脚本が、「そこのみにて光輝く」の高田亮さん。高田さんは佐藤泰志を読み込んでいるなと感心させられます。

まだ映画は公開前なので、内容については控えますが、俳優さんたちの熱演と函館の坂や公園、とてもいいです。

映画 オーバー・フェンス

 

 

 

 

 

 

 

 

 

蒼井優さんの渾身の演技に感動して、そういえば彼女は宇江佐真理さん原作の「雷桜」にも出ていたはずと思い出して、遅ればせながらDVDで観ました。

これがまた、優さん凄いんです。白馬を駆って森を行く姿もかっこいい。原作者の宇江佐さんをして「主人公の蒼井優さんは体当たりの演技を見せる。普通の女優さんならきれいに見えるように表情を作るが、今回の蒼井さんにはそれがない。泣くシーンではよだれが流れるのも構わず盛大に泣く。笑うときも盛大に笑う。蒼井さんは小説の主人公そのものに見えた。」(『見上げた空の色』所収「試写会」より)と言わしめています。

映画「雷桜」は2010年の公開だったのですね。「海炭市叙景」と一緒。

「海炭市叙景」のことで無我夢中だったから、宇江佐さん原作の映画を観もしませんでした。でも、今回「オーバー・フェンス」のあとに「雷桜」を観て、蒼井さんの演じた二人の女性に共通するものを感じて、感慨深かったです。

「雷桜」の遊は、森に暮らし里の人から天狗と思われている野生児です。自分のことを「俺」と言います。「オーバー・フェンス」の聡(小説では「さとし」)も、男みたいな名の痛々しいほど烈しい女性。

宇江佐さんが「雷桜」の蒼井さんを観て書いた感想は、そのまま「オーバー・フェンス」を観たわたしの感想でもあります。

映画 雷桜

 

 

 

 

宇江佐真理・佐藤泰志という函館の二人の作家の作品に出て、主人公そのものを見せてくれた蒼井優さんに、ありがとうを言いたいです。


吉増剛造とエミリーの小石

六月も今日で終わり。

今年も半分が過ぎたのですね。

今日は調べものがあって、中央図書館へ行ってきました。

「市街戦のジャズメン」が掲載されている『北方文芸』1968年3月号も閲覧しました。

48年前の春にこれを読んで衝撃を受けたのでした。

いま読んでも、書き出しからして上手いです。

高校生がこれを書いたわけです。

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その佐藤泰志と同年の宇江佐真理も、高校生のころから書いていました。

「ウエザ・リポート」(これを書きたいがためにペンネームを決めたそうです。ウェザーリポート、天気予報のもじりです。)に所収の「高校生の夏休み」というエッセイが好きです。受験雑誌の小説募集に応募して佳作に入選するものの、最優秀作のレベルに挫折感を味わい、もっとうまくなりたいと思った少女は、増えた規定枚数に苦しみながらもさらに挑戦する。高校三年のときも佳作だったが選考委員の本多秋五さんの「印象的な作品」という選評は「十八歳の女子高生をその気にさせるには十分な言葉」だったそう。

「私の小説家としてのきっかけはそこにあると思う。」

「長い長い模索の日々が続くことなど微塵も考えず、私はひたすら小説を書くことだけを考えるようになった。

 疲れた眼で窓の外を眺めれば、空地にはヒメジョオンの白い花が揺れていた。金魚売りの間延びした触れ声も微かに聞こえる。

 静かな夏のひと時、思えば何と幸福で豊かな時間を過ごしたことだろう。高校時代に何か誇れるものがあるとしたら、私は迷わず小説を書いたことを挙げる。

 その時の気持ちが忘れられず、今も私は小説を書き続けているのかも知れない。」

 

図書館から帰宅したら、小樽の詩人からレターパックが届いていました。

わー、わー。開けて狂喜しました。

東京国立近代美術館で開催中の「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」の分厚い図録? 書籍です。

声ノートというディスクが2枚ついています。

豊富な図版、テキスト・資料つきの豪華本です。

なんと、なんと、長屋のりこさんが東京のSさんに頼んで購入したものを、吉増ファンのわたしに贈ってくださったのですよ。

ありがとうございます!

 

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長屋のり子さんの達筆なお手紙と、トークイベントにも参加したSさんの詳細なノート(きれいな小さな文字がびっしり詰まった感嘆モノです)のコピーも添えられています。うれしい!!

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ちょうど吉増さんの『わが詩的自伝 素手で焔をつかみとれ』を読んでいるところでした。

わたしが詩を書くようになったのは吉増剛造の「オシリス、石の神」を聴いたからでした。

石と言えば、自伝の中には大好きなエミリー・ディキンソンの詩も掲載されています。

 

小石はなんていいんだ

道にひとりころがっていて

経歴も気にかけず

危機も恐れない

あの着のみ着のままの茶色の上着は

通りすぎていった宇宙が着せたもの

         (中島完訳『エミリー・ディキンスン詩集』国文社より)

 

なんだろう、小石は佐藤泰志や宇江佐真理が描いた市井の人に重なります。

そして、売れっ子作家になっても贅沢をせず生まれた街から一度も出ずに書き続けた宇江佐さんとエミリーも。

 

長屋さんは小柴節子さんの詩集も贈ってくれました。

19年前の6月発行の詩集名は「雨ノチ雨」

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発行者は浅野明信

小柴氏も浅野氏も既に亡く

六月の雨は、死者を哀惜する涙でしょうか。

 


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