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唐牛健太郎

昨日の「野球」の最後でもちょっと触れましたが、
60年安保の全学連委員長・唐牛健太郎は函館出身です。

 

 

わたし自身は、一度もあったことはありませんが、
湯川に住んでいた友人たちは、ずっと年上の彼を「ケンちゃん」と今もよびます。

縁あって、唐牛健太郎の墓参へ行くようになり、彼がどれほど多くの人に慕われているのか実感しました。

そして、60年安保から50周年の昨年、函館で
「唐牛健太郎展2010~カロウジ、函館へ帰る」という催しを唐牛の同級生たちと開催したのでした。

そのメモリアルブックも今春、作成しました。

湯川中学から函館東高校、北大へと進んだ唐牛は、請われて全学連の委員長に就任しますが、なぜ、北の素朴な青年が、全学連のトップに立ったのか、そして、なぜ今も多くの人に慕われるのか、
その理由が今ではわかるような気がします。

毎年夏の墓参には、地元の幼なじみや同級生、さらに全国から駆けつける方がいます。
その方たちから伺う唐牛健太郎は、闘士と言うよりも、聡明で茶目っ気があって、人を差別しない心底やさしい男です。

野球少年でした。

母親思いでした。

好男子でした。

いろいろなことを取りざたされましたが、弁解せず
オホーツクの海で暮らしました。

なにも書きのこさず亡くなりましたが
党派を越えた各界の方々が「追想集」へ言葉を寄せています。

彼の墓は、海を望む函館山の中腹にあります。