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感動と戦慄-『偽りなき者』を観て

師走も半ば

あいかわらず時の疾さに追いつけないまま日々が過ぎてゆきます。

きょう(13日)は寒い日でした。

しかも雪やら雨やら雷やらで、外出もできず。

こんな時こそ、たまっている作業や原稿を片づければいいものを、昨夜観たデンマーク映画が頭から去ってくれない(苦笑)。

ここにちょっと取り出したら楽になるかしら。

 

『偽りなき者』(トマス・ヴィンターベア 2012)

凄い映画でした。

親友の幼い娘クララのちょっとした嘘とも言えないような話から、変質者の汚名をきせられた保育園教師のルーカス(マッツ・ミケルセン)は、職場からも仲間からも地域からも白眼視され酷い仕打ちを受ける。

それが普通の善意の人によってなされてゆくというのが、どうにもやりきれない。

クララは、大好きなルーカスにプレゼントしたり唇にキスしたりして彼に軽くたしめられたことにむくれてちょっと悪口、それも高校生の兄の口真似をしただけなのだが・・・

子どもを守らなければという園長や父母たちの話から、関係ない園児たちまでありもしないことを言う。

園児たちに慕われ、親身に世話をしていたことがかえって仇となり、変質者として確定されてゆくところなど、ほんとうに怖ろしい。

無実の彼は警察に逮捕されるが、園児たちの証言は作り話だったことがわかり釈放される。しかし、最初の疑惑は払拭されない。

一度、彼を性的変質者と思いこんだ人たちの心証をくつがえすことのむずかしさ。やっていないことを証明するって、一体どうやればいいのだろう。

 

スーパーに買い物に行っても、売ってモらえず、「帰れ」と暴力をふるわれる。

それでも、彼は逃げない。なぜなら無実なのだから。血だらけになっても売ってくれるまで向かっていくのだ。

孤立無援の男の誇りと闘いに胸が詰まる。

迫害は彼一人にとどまらない。愛犬は殺され家の前に棄てられた。

罪なきものの犠牲。

観ていて、小林政広監督の『バッシング』を思いだした。

あの映画でも、主人公の女性は職場やコンビニで拒否された。

嫌がらせは家族に及び、父親は自殺した。

そんな代償を払わねばならないようなことを彼女はしたか? 否である。イラクへボランティアに行って人質にとられただけだ。

バッシングをする人たちは、彼女に何かされたわけではないのに、執拗に責めるのだ、たたくのだ。

 

『偽りなき者』というタイトルが不思議だった。

原題を見たら『JAGTEN/THE HUNT』とデンマーク語と英語で表記されていた。

狩猟!?

そういえば、物語は11月、鹿狩りの時期から始まり翌年の鹿狩りで終わっていた。

16になって猟銃免許を持つことが大人の証なのだという。

翌年の鹿狩りは、嫌疑が晴れ(?)仲間と和解したルーカスが、始めて狩りをする息子を連れて参加する。

最初の鹿狩りでは、ルーカスは鹿を仕留めていた。

倒れた鹿の顔の映像もあった。

しかし、翌年の鹿狩りではルーカスはこちらをみつめて立ち止まる鹿がいるのに撃たなかった。

逆に、彼が狙われた。

これは、暗喩だろうか。

狩る側と狩られる側の。

自分の正義で撃つ者と落ち度や罪がなくても標的にされるものの。

わたしたちは、加害者・被害者どちらの側にも立ちうる危うい生き物だ。

邦題の『偽りなき者』の「偽り」には、偽の証言、偽の罪、偽の正義、という意味があるのかも知れない。

 

脚本も演出も俳優も素晴らしかった。

ルーカスを演じたマッツ・ミケルセンの表情。眼。

少女クララの、ホントでないことに反応するときのチック症のような顔の歪み。

人間への深い愛と洞察。

感動し、戦慄した。