『我らの日記 下田先生と六年一組』

2月になりました。
年が明けたと思ったら、もう1年の12分の1が過ぎたのですね。
一昨日はあたたかく雨でしたが、昨日今日はまた冷えこんで真冬日、まだまだ寒い日が続きます。
それでも、今日の日の出の時間は6:50。1月11日は7:03でした。すこしずつ夜明けが早くなっています。
日の入りもすこしずつ遅くなって、日中の時間が増えていきます。春遠からじ!
元気を出して今しばらくの寒さを堪え、冬を越えたいと思います。
 
12月・1月と、詩集や詩誌をたくさん送っていただきました。(きのうも4冊届きました。感謝!)
年末年始からずっとばたばたと忙しく、ここで紹介できませんでしたが、力のこもったすばらしい作品に圧倒されました。ありがとうございました。
詩集・詩誌以外では、小樽詩話会の下田修一さんから『我らの日記 下田先生と六年一組』という本も頂戴しました。
わたしは下田さんの書かれる詩に登場するお父様が好きで、昨年末に小樽詩話会でお会いしたとき、その話をしたので贈ってくださったのでしょう。
とてもすてきな‥‥真心のこもった追悼本でした。
 
「我らの日記」とは、下田さんの父・恵一氏が教師をされていた小樽潮見台国民学校で、1941(昭和16)年に受け持ちの6年1組の生徒さんたちに書せた絵日記です。
下田先生が94歳で亡くなられたあと、遺品の整理をしていて見つけたもので、以来、何度も読み返してきたそうです。
 
日記に登場する父の教えた内容は、絶対的な国の方針や命令で軍政下に行ったものです。ほとんどの教師がそうしましたし、国民もそういうものだと信じさせられていました。でも、「それだけではいかにも淋しい」と一人の教師は考えなかったでしょうか。教師は「全てを国の言うなりのまま教えていたのか?」という疑問から、この日記を読み直してみました。すると、わずかな光明が見えてきました。(“読み聞かせと恵一の「クオレ」について”より)
 
下田先生は、生徒たちに『クオレ』や『リア王』、『風の又三郎』などを読んであげているのです。授業時間にではありません。授業が早く終わったときなどの余白の時間にです。
また、戦争中ということで修学旅行が中止になった時には、生徒さんを自宅に招いて泊めています。
よほどうれしかったのでしょう、そのなかの一人は、大人になっても忘れず息子に話して聞かせたようです。その母の思い出を記した文がちょうど30年後、潮見台小学校の70周年記念文集に載っているのです。
 
ある日、先生が「自分の家の近くの人と、三人ずつグループを作りなさい」といいました。何だろうと思っていたら「修学旅行に行けないので、交代で先生の家に泊まりにおいで」といいました。
 
まだ子どものいない先生夫妻の家では、若い妻が煮豆をつくってもてなしてくれました。夜トイレに行く時はローソクを持って付き添ってくれたそうです。
男女56名のクラスです。すごいことだなと思います。
生徒さんたちは、卒業後「ポプラ会」という会を作って毎年集まる際に下田先生を招いたといいます。
慕われる理由が、お会いしたことのないわたしにもわかります。
 
『我らの日記』には生徒たちの絵日記だけではなく、下田先生の日記や、少年時代のことなども記述されています。
教師に赴任してからの悩みや、学生時代に詩を書いていたこと、映画が好きだったことなども判ります。
この本を編まれた下田修一さんは長く映画館で仕事をされてきた方。詩といい映画といい、まぎれもない親子ですね。
我らの日記
 
 
 
 
 
 
絵日記は全154枚のうち69枚の画像が収録されています。70年以上経っていますが、色遣いはカラフルで、文字もしっかりしています。
 
(下田修一 編・著 2009 緑鯨社 2000円)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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