『佐藤泰志』と映画のこと

佐藤泰志 河出書房新社
福間健二さん監修による『佐藤泰志 生の輝きを求めつづけた作家』が、発行されました。
4月に公開となる映画『そこのみにて光輝く』に向けての発売で、帯には映画のシーンと「作家はなぜ復活し、なぜ人びとの魂を揺るがすのか」のことば。
内容は、佐藤泰志が高校時代に書いた小説「退学処分」「青春の記憶」、評伝抄、対談、インタビュー、エッセイ・論考など、没後20年を経て復活した作家の魅力に多様なアプローチで迫る一冊となっています。
(わたしも、「海と砂と夏のアジサイ」という文章を書きました。)
 
(河出書房新社 定価 1600円+税)
 
CCF20140226_00002 それを伝える新聞記事の写真には、この本に書いている西堀滋樹さん菅原和博さん青井元子さん、わたし、そして映画化のきっかけになった前年の「佐藤泰志とその世界」という、『佐藤泰志作品集』を出版してくださったクレインの文弘樹さんをお招きしてのイベントでパネリストとして話してくれた、泰志の中・高校の同級生だった陳有崎さんの姿もあります。
海炭市叙景のブログを毎日更新してくれた寺尾修一さん、一緒に街頭募金に立った加藤浩樹さん、ロケのお弁当を運んでくれた荒良木亮さんも。
もう、5年前のことなのですね。
 
 
いろんなことを思い出します。
クレインの文さんを招いてのイベントは「はこだてルネサンスの会」が主催でした。
わたしも参加していたこの会は、既成の団体やカルチャー教室とは違う新しいムーブメントを起こそうと意欲的な自主講座を定期的に開いていました。
残念ながら、『海炭市叙景』映画化で忙しくなり、その12回目の講座が最後となって解散してしまいましたが、2007年に『函館文学散歩』というガイド冊子を発行しています。
この冊子は、ほとんど北村巌さんと西堀さんの力で完成したものですが、佐藤泰志・宇江佐真理・辻仁成の項は、わたしが担当させてもらいました。お二人とも、佐藤や辻の出た西高出身だったのに、です。17の春に「市街戦のジャズメン」に衝撃を受けていたわたしに担当させてあげようという、お二人のご厚意だったと思います。
 
今回の、河出の『佐藤泰志』本には、文学関係だけでなく単行本『海炭市叙景』のカバー画を描いた高專寺赫さんや映画関係者なども書かれていて、興味深く読みました。
そのなかでも、映画監督の瀬々敬久さんの文章に、『函館文学散歩』を思い出しました。
瀬々監督は、「本棚には佐藤泰志の本は一冊もない」けれど、ほとんど読んでいるそうです。
そして、「そこのみにて光輝く」を下敷きにしてピンク映画の脚本を書いたと言います。
監督作では『移動動物園』を設定にしたり、大作『ヘヴンズ  ストーリー』では、“「海炭市叙景」のように断章形式で一年間の四季の中に小さな町で繰り広げられる群像劇を造ろうとした。”とも、書かれています。
はじめて知ることでした。
うれしかったです。
佐藤泰志は映画が好きでした。『函館文学散歩』には「勝手にしやがれ」のポスターを背に立つ彼の写真があります。
没後、「文藝」に発表された「星と蜜」には、前年なくなった妹さんが住んでいた町の映画館と同名の大黒座を登場させています。
自分の作品にインスパイアーされてつくられた映画が、函館発以外でもあると知ったらどんなにか喜んだことでしょう。
瀬々監督は辻仁成のことも書いていました。
既に小説「クラウディ」でミグ25で函館に亡命してきたソ連の中尉を登場させている彼は、グローバルな新しい時代というものに僕や多分、佐藤泰志よりも敏感だったように思う。
わたしも、そう思います。すききらいをこえて。
佐藤泰志の項で、わたしがつけた見出しは「屈折した青春と砂州の街に生きる人々を描いた」でしたが、辻仁成は「境界を越えてゆく旅人」でした。
そして、引用文は芥川賞を受賞した「海峡の光」より「クラウディ」のほうがスペースが大きかったです。泰志は、辻の「クラウディ」に衝撃を受けたのではないか、とわたしは思っていました。泰志が「クラウディ」を読んでいたかどうか確かめる術はないのですが、もし読んでいたら嫉妬したのではないだろうかと感じたのです。とくに、西高屋上の描写に。辻の才能にと言うより、彼がそこにいたことに。それを書いたのが自分ではなく彼だったことに。
「函館文学散歩」の「函館の文学(者)年表」は、わたしが作成しましたが、1990年は辻仁成の「クラウディ」が発表され、佐藤泰志が亡くなっています。
その前後は皮肉なまでに対照的です。
泰志は「芥川賞候補」「三島賞候補」、候補の文字ばかりが並びます。
一方、10歳年少の辻仁成は「すばる賞」「芥川賞」「仏フェミナ賞外国小説賞」と受賞が続きます。
函館文学者年表 部分
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
でも。
生きてるうちだけが勝負じゃないのですね。
瀬々監督は次のように文章を結んでいます。
完成しない映画というものはあるが、完成しない小説というのもあるのだろう。「海炭市叙景」は佐藤泰志の自殺のせいか未完だ。ならば、佐藤泰志という小説家の人生はあれで完成だったのだろうか。そういうことを問うてもダサい、と感じつつ今更思う。だったら、あの頃から始まった「グローバリズム」と呼ばれる時代が色々な場所で軋みを見せ、逼迫した日常の中で自分たちは、今、生きている。その中にあって、佐藤泰志の小説の中に確実にあったあれやこれやは決して懐古趣味ではなく、この時代を問い直すことのできる可能性を秘めた何かである。そう会ったこともない佐藤泰志に言ってやりたい。
だからなのか、佐藤泰志の本を初めて買ってみようと思った。
 
2月は短い日数ですが、出会いと別れの多い月でもあるなあ、と感じています。
わたしの母も泰志と同じ没年の2月に亡くなっていますが、泰志のお母様も映画『海炭市叙景』の公開を見届けるかのように2011年の2月に逝かれました。
そして、2014年2月、映画『そこのみにて光輝く』の公開前に、こんな素敵な本に、ありがたい文章に、出会えました。
ひとあし早い春のように、うれしい贈り物でした。
感謝します!
 
 
 
 
 
 
 

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