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「死んだ人のいない家はない」 ー 映画『岸辺の旅』

映画『岸辺の旅』を観てきました。

久しぶりのシネマ・アイリス。

函館には今や映画館はシネコン1館とシネマ・アイリスの2館だけです。

私の観たい映画は函館では上映されないことも少なくないので、DVDで観ることの方が多くなっています。

でも、この映画は早く観たいなと思っていたので、アイリスに感謝です。

映画館の大きいスクリーンで観られてよかった!

 

首都圏の封切より当地での公開は遅れるだろうと、未読だった原作を秋の初めに読んでいました。西の友で、いつもすてきな音楽や文学を教えてくれる@bacuminさんが、同じ作者の『ポプラの秋』を絶賛されてたので、そちらも読みました。

どちらも本当に素晴らしい小説で、その余韻は長く続きました。

ただ原作が素晴らしいと、つい比べて映画に不満を抱きかねないので、映画は映画、小説とは別物、そう思うようにしていました。

また、先に情報を入れないでおこうと、監督の黒沢清さんと蓮實重彦さんの対談や阿部和重さんの『岸辺の旅』論が載っている文學界11も読まないでいました。

 

映画『岸辺の旅』、よかったです!

終わってみれば2時間を超える長さでしたが、長さを感じさせない魅力的な映画でした。

原作の力は勿論ですが、映画は総合芸術なんだなとあらためて思います。

小説の、文章から惹起される思考や想像は思いのままに果てしなく、読者そのひとのものです。しかし、まさに読書の魅力のそこが限界でもある気がします。ひとりの思考であり想像だからです。豊饒でもあり、貧弱でもある。

映画には音があり色があり風景があります、脚本があり俳優がいてカメラが回ります。

多くの眼や手の思考であり創造なのですね。それを美術や衣装に感じました。

新聞配達の島影さんが切り抜いていた新聞広告やカレンダーの花々が壁に貼られていたのは小説でも印象的でしたが、映画の大画面に広がる絵は圧倒的でした。その色彩・量感は想像ではなく、体感・体験でした。

それから優介センセイの宇宙の話もよかったです。

主演の深津絵里さん浅野忠信さん、本当にすばらしかったです!

『岸辺の旅』を、このキャストで観られたことは幸せなことでした。

 

映画館で購入したパンフレットもよかったです。

表紙のカットもキュートな装幀で、対談やインタビューやレビューが充実しています。

監督のお話で、原作と違う部分(小説では回想として書かれていた過去を現在にしたり)の意図も判りました。

パンフレットには、原作者の湯本香樹実さんの寄稿もありました。

「死んだ人のいない家はない」というタイトルの文章です。

“小説「岸辺の旅」のなかに出てくる「死んだ人のいない家はない」という一節は、学生の頃、読んでいた仏教説話のなかで出会ったものです。

 そのときなぜ仏教説話を読んでいたのか記憶はさだかでありませんが、仏教への関心というよりは、「宇治拾遺物語」など説話がもともと好きだったから、その延長だったに違いありません。”

 “簡素で緩やかな説話的世界 - それは小説を書くとき心がけたことでしたが、映画「岸辺の旅」を観て、まさに「説話のよう」だと感じました。

 しかしこれまで観てきた黒沢清監督の作品が、すでに説話的な世界だったことに、今さらながら気づきもしたのでした。”

このあと、湯本さんは黒沢清作品を挙げて、自由さ、おおらかさ、それらのエネルギーや手法、「ありありと伝える鮮やかさは、説話的世界と交わるものだと思えるのです」と記しています。

じつは、わたし、黒沢清監督作品を初めて観ました。遅い出会いですが、いま『岸辺の旅』で出会えたのは幸運でした。

映画「岸辺の旅」

 

 

 

 

映画のエンドロールで脚本に宇治田隆史さんの名を認めてうれしかったです。そういえば浅野忠信さんが出演された『私の男』も、宇治田脚本・熊切監督の『海炭市叙景』コンビでした。もし佐藤泰志が生きていて『海炭市叙景』を観たなら、湯本さんみたいにすてきな文章をパンフに寄せてくれただろうか、とふっと思いました。いや、佐藤泰志もきっと、原作との異同を越えて、映画を讃えてくれただろう、そう思います。