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この星は誰のもの? 映画『月子』が問うもの

映画『月子』を観ました。

脚本・監督は越川道夫さん

映画『海炭市叙景』ではプロデューサーでした。

2009年春に函館を訪れ、『海炭市叙景』実行委員会に熊切監督と出席してくださいました。

その後、中沢けいさん原作の『楽隊のうさぎ』(鈴木卓爾監督)のプロデューサーもされました(市民映画として市民が応援するかたちは『海炭市叙景』に学んだと仰ってくださいました)。

 

その越川さん監督の『月子』は、正直言って、観るのが辛い、痛い、切ない、作品でした。

父を失ったタイチと、波音の聞こえる家へ帰りたいと施設を逃げ出してきた月子の道行き。

知的障害の少女・月子の視る世界。聴く世界。

都会のスクランブル交差点を行き交う人々を高層ビルの窓から視た月子の呟く「迷子」

そうだね、と頷く。

わたしたちはみんな寄る辺ない迷い子。

迷いながら生きている。

家路へゆくときも、ここが自分のほんとうの帰り道ではないような。

 

月子は、捨てられていたカセットデッキとテープから流れる賛美歌をくりかえし聴き、口ずさむ。

障害ってなんだろう。

月子は耳がいい。鳥の声を憶えている。ヒヨドリの来た庭は雪だろうか。

 

月子、という名前に「かぐや姫」を連想する。

かぐや姫は育ててくれた媼や翁と別れたくないと泣き暮らしていたのに、月からの迎えが天の羽衣をかけたら、悩みもなにもなくなってすっと飛ぶ車に乗ったのだ。

タイチや月子に、そしてわたしも、そんな羽衣がほしい。

 

越川監督は島尾ミホさんの小説集と同じタイトルの映画『海辺の生と死』が、明日から上映されます。

海辺!

先日発行した「恒河沙」に小林政広監督の『海辺のリア』の感想を「波打ち際で」と題して、海辺の映画について書いたばかりでした。

そこで、小林監督の宮城県で撮影した『ギリギリの女たち』のことにもふれたのですが、この『月子』もまた福島県の海辺、東日本大震災の傷を描いているのでした。

フライヤーの表にも裏にも記された「この星は誰のもの?」

これが越川監督の伝えたかったことなのでしょう。

自然は人間に忖度なんかしません。

津波の後も、海は絶え間ない波を生み、呼吸をしています。

さらわれた土の跡にも草は生え。

鳥の声、虫の集く音、波の音、雷、人の声、骨が鳴り。

震災後、多くの文学者・映画人がこの厄災のもたらしたもの、未来へと引き継がれる災禍について、とても真摯に発信してきたと思います。

それに比して、人々の生命や人権を守り、より安全と安心を希求し実現しなければならない政治家はどうでしょうか。

数日前も、自民党の原発推進の国会議員が原発再稼働の要望書を経済産業大臣に提出したとのニュースがありました。まだ福島の原発事故の解決もされていないのに・・・