月と俳句と片歌と

月の美しい季節ですね。
地上ではうんざりするようなニュースばかりが続いていますが、日々の月の姿に慰められています。

貧しき者にも、小さき者にも、へだてなく輝く月が本当に好きです。
名門に生まれても、財や地位に恵まれても、すごい学歴でも卑しい人のなんて多いこと! それを毎日見せつけられていますが、月は名もなく貧しくとも清く生きることの尊さを教えてくれます。
月讃え今日を終えるをよしとして(沙那絵)
なんて、下手な俳句を詠んだりして眠りに就く今日この頃です。

俳句はまったくの初心者です。
作り始めたのは八月の初旬、亡夫の納骨の日からでした。
僧侶の読経のとき、大きな揚羽蝶が墓をふうわりふうわりと旋回し去っていきました。
それは、まるで夫の魂のようでした。
思わず
納骨の読経に舞えり揚羽蝶
と、そのままを十七音に。
そして、そのとき、夫に一日一句ずつ百句を献じようと決めました。
密かにではなく蝶のように飛んでほしいと思い、恥ずかしいけど毎日ツイッターに放ちました。
どうしてもできない日は、翌日に二つ作ったりということもありましたが、先日なんとか半分の五十句までいきました。
このままいくと百句満願は十一月でしょうか。
途中で投げ出さないように、ここに記します(笑)。

というわけで、俳句は初心者も初心者、幼稚園児程度ですが、それでも毎日作っていると考えたり気づくこともあって。
あるとき、コスモスの俳句を作っていたとき、どうしても五七五に納めたくなく五七七で詠んだことがありました。それはあえて片歌と記して、百句の数に入れませんでした。
菊よりも彼ならきっとコスモスだのに 

(菊とコスモス、どちらも秋の季語。俳句では季重なりといってきらうようですが。)

片歌、で思い出すのは工藤正廣さんの『片歌紀行 - 今に生きる建部綾足』です。

ロシア文学者として著名な工藤正廣さんは、津軽出身の詩人・小説家でもあり、また建部綾足の研究者でもあります。
この『片歌紀行 - 今に生きる建部綾足』(2005,未知谷)は、その工藤さんの建部綾足と片歌への愛情溢れる紀行エッセイです。
青森の新聞『東奥日報』に50回連載されたものを13年後にまとめたものですが、書かれたものというよりお話しされたもののように感じます。とても優しい語り口で、読んでいるというより聴いているようなのです。
謹呈の扉に工藤先生直筆の自作片歌があって、とてもうれしく感激したものです。

 波の穂も寒し寒しと
 紺絣着て    (工藤正廣)

工藤さんの片歌の説明は、わたしのように俳句や片歌について何も知らない者にもよく判るものです。
 「で、綾足は和歌(短歌)の片歌である俳諧発句の五七五の調べではなく、もっと起源の深い祝祭言語の調べ、旋頭歌の方の片歌、五七七の調べをこそ、心の叙述にふさわしいと見なすにいたったのですね。
 ここに殆ど失明盲目になった詩人綾足の批評精神が躍如としているでしょう?
 ん、もう少し平易に言い換えて、小説言語やスタイルのことで言いましょうか。例えば、志賀直哉のそれ、川端康成の文学も、これは(比喩的にですよ)、つまり俳諧の五七五。これに対して、津軽産の葛西善蔵、太宰治、寺山修司などなど、これはどうみても、片歌の対話性、唱和性、などなど、五七七。この限りない展開なんですね。心の深さのひろがり、ゆるやかさがちがう。屹立するというのではありません。まあ、形なし。あるのは五七七。綾足はこれを十八世紀の半ばにすでに日本文藝の流れの中で意識化しえていたのです。俳諧より出て俳諧を撃つ、か。」

片歌を教えてもらったことで、俳句の特性も見えてきます。
十七音という最小の詩形。
5月に亡くなった大道寺将司がなぜ、この表現を採ったか、ぼんやりと考えていたことが確信にかわります。
いつか、そのことについても書けたらと思います。
それまでに、百にひとつふたつでも、きれいな蝶が舞ってくれたら、夫に届いてくれたらと願います。
読んでくださってありがとうございます。また。
 

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