徒労の話

きのうのブログを読んでくださった小林政広監督が教えてくれた

とても心に響く印象的な言葉が、いまもわたしを占拠しています。

 

緒形拳さんが「豆腐屋の四季」の話を何度もされていたこと

「オレは、徒労の話が好きなんだ」と緒形さんが言っていたこと

そして、監督の「作りながら親父を憎んだように緒形さんを憎みました」という言葉

 

うれしかったです。

緒形さんも小林監督も、いいな、好きだな、とあらためて、かさねて、思いました。

緒形さんは徒労の話が好きだから、「シラノ」の独り舞台をされたんだと合点もいきます。

父を演じる緒形さんを父のように憎んだ、という監督の情の濃さにふるえました。

憎むほど愛する。

わたしは、思春期や青年期にてらいなく「父母が大好きです」「尊敬するのは両親です」と言う人を幸せな人だなと思いますが、自分とは違う人種だなと感じてしまう者です。

子どもたちには、なるべく苦痛のない平安な人生を歩んでほしいとは思いますが、

一方、その年代に、出自や、家族や、故郷を憎んだことが、疎んだことが、ただの一度もない人には、

人間としての深みを感じません。

芸術、とくに文学や演劇や映画は、屈折や絶望や後悔を知らない人の創ったものは浅薄な気がするのです。

人は、自分の近い者への愛憎のせめぎあいの果てに、なお憎しみのみにはなりきれず、愛と赦しへ向かおうとするのだと思うのです。

映画『歩く、人』で、父親が毎日、遠距離を歩いて通う場所が鮭の孵化場だったのは示唆的でした。

鮭はアイヌ語でsipe(シペ)と言います。それは本当の魚、という意味だそうです。

わたしは、遡河魚の鮭をそう名付けたアイヌの先人の叡智に敬意を抱きます。

鮭はなせ海へ出るのか。

それは、故郷を離れ、大海でたくさん食べて大きく強くなるため。

では、なぜ故郷の川へ戻るのか。

それは、自分が生まれた故郷が子どもにとっても最もふさわしい故郷だから。

映画で、父親の恋する孵化場の女性が南へ去り、そのいれかわりのように

和解した長男に子どもができているのも、鮭のようでした。

きっと、その子も家を出て、冬でもアイスクリームを食べる大人になる(笑)、と思えました。

 

そして、徒労の話。

わたしも、徒労の話が好きなんだと思います。

だいたい、効率や成果を求める人間なら、詩なんて書かないでしょう。

字数の割に時間をとられ、金儲けにもならず、詩を作るより田を作れと言われ。(笑)

 

カフカの『審判』を、何度も読みました。

ヨーゼフ・Kの徒労の一日からはじまる物語は、徒労の一年で終わる。

ヨーゼフ・Kの徒労のような一生。

この世界の悪意とも暴力ともよぶべきものに翻弄され抹殺される不安、

この世界には、そういう怖ろしさが内在しているとカフカの『審判』は教えてくれる。

カフカは今も古びない。今も怖ろしい。

「徒労の話」が好きな所以。