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ワカラナイ

映画『ワカラナイ』(2009年 監督:小林政広)をDVDで観ました。

とても、何と言ったらいいでしょう、胸が痛くなる、そして素晴らしい、作品でした。

 

鶯の鳴き声もきれいな明るい、初夏の光に満ちたなかで、主人公の少年の表情は暗く、その荒涼その孤独に胸を衝かれます。

極貧。電気も水道も止められた粗末な家で独り暮らすリョウ。

母親の入院費も払えず、アルバイト先のコンビニでパンやおにぎりを盗み、馘になりますます追いつめられ。

母親は死亡。たまっている入院費と葬式代を用意しろと大人に責められ、母の遺体を運び出して海へ葬送する。

この葬送の小舟でのシーン、それまでの、いくつかの情景がここで結ぶ感動に震えました。

母を乗せた小舟は、彼の揺籃のような安らぎの場。木々の緑を抜けた先の浜辺にあります。

そこで宝箱(きれいな紙製の、お菓子の空き箱でしょうか、入っているのは東京の地図と一枚の写真だけという、少年の宝の少なさが哀しいです)に、

しまってある在りし日の父子のだろう写真を胸に抱いている姿を、わたしはすでに目撃しています。

母の遺体を飾る紫陽花が、雨に咲いていたのも。

そして、母が握りしめていたものが指輪であることを確認した少年が、再びしっかりと母の手にそれを握らせるところ、

いちばん好きなシーンです。

母が病床で父を罵りながらも、結婚指輪を握りしめていたことは少年にとって救いだったと思います。

「あんな人と結婚するんじゃなかった」そう母が言ったとき、病室を出て号泣した少年の姿が甦ります。

あの言葉は、父を否定されただけじゃなく、自分の存在、誕生したことさえも否定されたと感じただろう、と・・・

母が簡単にはほどけないほど強く結婚指輪を握りしめていたことは、その結婚生活を、自分の存在を肯定された証です。

母を葬る前、生まれたままの姿で母に添い寝する彼は、赤子であり、自分を抱いた父でもあったのでしょう、腕枕でした。

 

ほかにも印象的なことがありました。

・水の音。

波の音。水道の蛇口から迸る水。雨音。

寄せては還る波。生き延びるための飲み水。花を咲かせ、ときに激しく打つ雨。

それは生そのもののようでした。

・食べ物。食べ方も、食品の偏りも。

あのメロンパンは、『誰も知らない』のアポロチョコと同じように、これから見るたび映画を思い出すだろうなという気がします。

・貼り紙。「家賃払えなくてすみません」

リョウと、その資質が招く苦境がよくわかるところです。

この映画を観て、なんで福祉を頼らないのか、と言う人は、この少年をわかってないのだろうと思います。

リョウは甘えないのです。泣き崩れたり自棄になったりしないのです。

馘になってもらったお金で、ご馳走を食べたり遊んだりしないのです。

母と自分の苦境を引き受けてしまうのです。立ったまま慟哭するのです。

 

この映画のタイトル「ワカラナイ」には、いろんな意味、いろんなワカラナイがあるような気がします。

母を葬ったあと、訪ねていった父は彼のことをワカラナイ。不審者扱いされ、大切にしていた写真を投げつけ夜の街で立ちつくして泣く彼の姿は哀しい。

補導され、遠くなった夢を説かれる取調官には、彼の苦しみはワカラナイ。娘の誕生日を告げるアンタなんかに、ぼくのことなんかワカラナイと彼も思ったろう。

この映画を観ているわたしには、後ろ姿の少年の行く末はワカラナイ。

 

あのエンディング、雨上がりの急坂を空っぽの宝箱を抱えジグザグに昇っていく少年は、

現実のリョウの姿ではなく、苦しみながらも坂を昇るBoyたち(アントワーヌであり監督自身でもあるのでしょう)の姿でありエールなのだと思います。

 

ずっと心に残る映画だろうと思います。