歌と映画

CD『とりわけ10月の風が』(1993)を聴きました。
林ヒロシさんの楽曲です。
「遅れてきた青年・コバヤシ君」と題された山本恵三さんの文に胸がいっぱいになりながら
「イタリアの天使」から「寒かったころ」まで聴いて、
あとがきの小林政広さんの文を読みました。
そうです。林ヒロシさんは映画監督の小林政広さんなのです。
 
まえに、このブログでも「寒かったころ」については書きました。
あのCDは映画『バッシング』時に出されたものですが、この『とりわけ10月の風が』は
小林監督が林ヒロシとして音楽活動をしていた’75年、21歳のときのレコードの復刻です。
 
「彼らは若く、清新だった。友部たちが実際の年齢よりも老成した印象を与えていたのに対し、林ヒロシや林亭は、オトナぶってはいても、まだ少年の面影があった。今聴き直しても、当時のピュアな精神を感じる。」
そう漫画家のいしかわじゅんさんが書かれているように、声にも歌の世界にも、少年を感じました。
聴いてるとなぜだか涙がぽろぽろ流れるのです。
ずっと、いい映画を観たあとのように余韻にひたっていました。
実はCDと一緒に、小林監督の映画第1作のDVDも購入していて、きょう観るつもりだったのですが、
別の日に観ることにしたほどです。
 
それで、ふっと気づいたのです。
小林政広さんは、林ヒロシのとき、たしかに音楽をやっていたけど、あれは映画だったのだと。
えーと、言い方がへんでしょうか。
つまり、シンガーソングライターです、独りでやる映画だったんだと思ったのです。
だから、歌手が監督に転身というのは、その通りだし、そうじゃないのだと。
(ますますヘン?)
人は変わるものだし、人は変わらないものだと。
作詞作曲し唄っていた林ヒロシ青年と、脚本も書く小林政広・映画監督は、その規模や世界の大きさは違っても、本質は同じだと思ったのです。
 
『とりわけ10月の風が』はディラン・トマスの詩のタイトルから採られた、と小林さんご本人が教えてくださいました。
不勉強で、よく知らないのですが、ボブ・ディランが、名前をいただいた詩人ですね。
39歳で亡くなったようですが、小林政広さんは、その39歳に、このアルバムを復刻されました。
映画を作られる3年前のことです。
わたしは、『海炭市叙景』に関わるまで日本映画にあまり関心がなく、小林監督のお名前も作品も知りませんでした。
ほんとうに遅れに遅れた出会いですが、それでも出会うべき人にも作品にも、いつかは出会うものだと嬉しくなります。
 
きょうは、いろんなことを思いました。
ヒントや励ましを、コバヤシ青年の出発から貰いました。
もうひとつの出発も楽しみです。
 

 
 

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