いちご

2月も今日で終わり。

歯科医院で診察の順を待っていたら、窓辺の陽射しにうとうとしてしまうようなあたたかさ。

春も近いなと思いながら文庫本を読んでいたら、「明日は道内、人命にかかわるような暴風雪」という声。「人命にかかわる」に驚き顔をあげたら待合室のTVでした。画面に見入りました。

春はまだまだ先のようです。

そんな北海道ですが、平昌冬季オリンピックでの道内出身選手の活躍で大いに湧いています。

スケート・ジャンプ・カーリング。ほんとうに大活躍でしたね。

わたしもオリンピック期間中は普段聴いているラジオを消してTVを視ることが多かったです。

とくにカーリングはLS北見という北見出身の選手たちのチームでしたから。

彼女たちの活躍でカーリング競技のみならず、試合中交わされる北海道弁やハーフタイムのおやつまで注目されました。

 

☆「そだねー」

試合中いくどとなく交わされる彼女たちのことば。

そのイントネーションが印象的だったらしく、たちまち話題となり早くも(2月です)今年の流行語大賞じゃないか、などとも言われるほどです。

道民にとっては珍しくもないことばですが、わたしは感心して聴いていました。

試合の進め方や戦略を彼女たちは話し合って決めるのですが、それがじつに民主的でいい感じでした。

「そだねー」には相手への肯定と同意があります。

「わかった」や「了解」という語にはないあたたかさがあります。

彼女たちが緊張を強いられる試合中も殺伐とせず笑顔でいられたのは、「そだねー」の効用だと思いました。

わたしも人と意見を交わす際は否定から入らず、「そだねー」精神で向かいたいと思ったことでした。

 

☆「いちご」

カーリングは長時間にわたって重いストーンを動かす競技で、ずいぶん体力を使うらしいですね。また氷上のチェスとも謂われるほど何手先までもよんで行うため頭脳の疲労も甚だしいそう。それでハーフタイムには食物を摂ることが認められていて、すばやい回復のため甘いものを摂取するようです。

今回「もぐもぐタイム」で食べられていた地元のお菓子「赤いサイロ」も注目され、売り切れ状態が続いているとのことです。

(製造元の「清月」は北見の老舗菓子店です。いつも北見のお土産はその「清月」か「大丸」のものでした。)

おやつ登場率でいちばん高かったのは苺でした。

わたしは苺を食べている北見っ子たちをTVで視ていて「北見人は苺が好きなのかな」と思ったほどです。

というのも、(北見出身の)夫も苺が大好きだったからです。

辛党で甘いお菓子や果物は殆ど食べませんでしたが、苺だけは別でした。

林檎派のわたしと、苺と林檎どっちが果物の中で一番かを議論し合ったりもして、友人に笑われたこともあります。

夫の誕生日ケーキは、一口も食べず結局わたしが全部いただくことになるので、ある時期からケーキの替わりに山盛りの苺を用意したほどです。

(今も毎月、命日には苺を供えます。)

夫の苺偏愛。それには、幼児期の体験が影響しているのかも知れません。

 

☆苺畑

17歳で知り合った頃、夫は仲間内で一番の読書家でした。15で生家を遠く離れて入学した高校と下宿での暮らしを慰めるのが読書だったのかもしれません。

それもわたしのように脈絡のない読書と違って、すでに一人の作家の全作品を読むというようなスタイルでした。

そんな読書好きの夫でしたが、いつか評論でも書き出すんじゃないかという周りの想いに反し、一切書くことはありませんでした。

ところが、今から10数年前に、わたしが入力・編集をして冊子を作ることになりました。友人の妻が詩を書いたので読んでほしいと送ってきたことと、その頃、十代からの仲間達と年一回、素人音楽会と飲み会をしていたのですが、関東圏から来る人もいたので、お土産にということもありました。

「JA・MA・JA」という名を仲間がつけました。

ジャズ好きな仲間というのと、俺たちみんな邪魔じゃ、という駄洒落でもあります。

仲間みんなに何か書くようにと迫る鬼編集長(わたしのことを仲間はそう呼びました笑)に急かされ夫も何回か作文を書きました。

そのなかに苺のことを書いていたものがあったことを思い出しました。

冊子をどこにしまいこんだか忘れていましたが、偶然見つかった一冊がその号でした。

「JA・MA・JA」2号(2006)表紙と挿絵は友人夫妻の娘さんが担当しました。わたしは恵埜裕雁という筆名です。

9月発行の号に夫は「夏休み」という作文を書いています。

 

 小学校四年生頃まで、夏休みの半分くらいの日数は、母方の祖父の家で過ごしていた。夏休みが始まると、夏休み帳と絵日記を持ち、歩いて祖父の家に行くのだが、小さな子供の足で二時間は掛かった。

 途中に大きな川があり、吊り橋とコンクリートの橋の二本の橋が架かっていた。吊り橋を渡った方が祖父の家には近いのだが、一人で渡るのが怖くて、遠回りでもコンクリートの橋を選んだ。何を考えながら二時間も歩いていたのかと、今になって思う。

 祖父の家での最大の楽しみは、苺畑だった。祖父はあまり広くない農地で、薄荷や葱、豆類などを作っていたのだが、十坪ほどの苺畑も、私のために作っていてくれた。毎日ザルを抱えては、苺畑に出かけた。畑の真ん中に仁王立ちし、

「ここの苺は、全部自分のもの」

と、大満足。食べ頃のものを数個頬張ってから、ザルに苺を摘んで家に帰り、五才違いの叔母に洗ってもらい、また食べた。

 

3ページほどの短い作文の書き出し。

今あらためて読むと、小さな男の子の姿も気分もしっかり見えてきます。

夫の祖父の、初孫への愛も手に取るように。

作文はこのあと、進学した函館の高校から夏休み戻ったときも結婚して子供連れで帰省したときも祖父が苺を持たせてくれたことや、別れのときのやりとりなどが綴られていて懐かしかったです(もっと書いてもらえばよかった、と今更思うのでした)。

この祖父も祖母も、ほんとうに心やさしい人で、若くして結婚するわたしたちを危ぶむ夫の父母に対して、いち早く祝福の意を伝えてくれたのでした。

夫も書いていましたが、わたしたち家族が北見から戻るとき、祖父は白い菓子箱にいっぱい苺を詰めて見送りの駅で渡してくれたものです。

11時間も汽車に揺られた菓子箱の苺は殆ど潰れて、白い菓子箱が紅く染まっていたのを鮮やかに思い出します。

 

カーリング選手たちの苺が、思いがけず遠い時間をたぐりよせてくれました。

北見に独り住む義母に、夫の作文のコピーを送ってあげようと思います。