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さかのぼる魚のように

✽母の日

息子たち3人とお寿司を食べに行きました。

回る店ですが(いまどきは注文だし、サイドメニューやデザートもいっぱいで楽しいです)笑。

全員集合! こんなときは家族LINEが効を奏しますね。

なんと、三男のご馳走です。

二男は中川町のオニグルミという木材で作られたボールペンをくれました。

長男からは先に、快気祝いと母の日と誕生日祝いの三つをまとめてだよと、今このブログを書いているパソコンをプレゼントしてもらっていました。だから今回は無しだと思っていたのですが、スヌーピーのマグカップをもらいました。PCとcup、大と小(笑)



3月、三男の引っ越し(帰郷)と就職祝いを私の緊急入院などでまだしていませんでしたから、本当なら、私がお祝いしてあげなければならないのですが、ま、母の日ということでオコトバニ甘エマシタ。

わいわいと笑いの絶えない楽しい美味しい時間でした。

みんな、ありがとう!

 

✽そして、独りの家に帰ってきて、この三日間をしみじみ思い出しています。

11日(金)は「游人」24の合評会でした。

小樽の長屋さんが、花崎皋平さん・松田潤さん・阿部美津子さんという3人のゲストを連れてきてくれました。函館勢は木田澄子さん・河田節さん・番場で総勢7人。駅前のスマイルホテルの会議室で行いました。

ゲストのお三方がよく読みこんできてくださって、とても勉強になりました。

哲学者として名高い花崎さんは、けっして偉ぶることのない方です。詩誌「游人」と游人同人に対して、有り難いほどお心にかけていただき、遠路駆けつけてくださいます。松田潤さんに対しても(北大の教え子ですが)、その長きにわたる交流を「弟子とは思っていません、友人です。」と仰います。

松田さんも素敵な方です。ご高齢の花崎さんが難儀な旅をしないように運転手役でついてきてくださったのです。大学入学の最初の受講で花崎先生の人間性に触れたという感動的なお話を伺ったのは、花崎さんや長屋さんの詩集出版記念会のことでした。半世紀近くも、先生への尊敬と愛情を保って支え続けておられることに敬意を覚えます。

阿部さんとは、初めてお目にかかりました。花崎さん長屋さんと公私ともに深い交友を結ばれている方。福祉の仕事に就かれていて、その経験や想いからの的確な指摘や感想に胸打たれました。その豊かな共感力は、ご本人の美質と言うだけでなく、福祉で関われる方にとっても幸せなことだろうと思います。

会議室は4時間お借りしていたので、たっぷり時間が余るのではと思っていましたが、いえいえ、とても集中して語っていたのでしょうね、あっという間に時間が過ぎました。

 

✽合評会の後の懇親会は、ホテルのフロントで「安くて美味しいお店を」と訊いて教えてもらった「すずや」へ。

知内の牡蛎や大間のマグロ、函館沖のヤリイカやニシンの刺身などなど、美味に舌鼓。新鮮な魚貝と多岐にわたる話題を堪能し、翌日を約束して散会。

 

✽翌日の午後は函館山中腹のカフェ「夕日」へ。

日本茶のお店です。昆布茶や煎茶や玉露を頼みました。

土曜日でいつもより混んでましたが、予約席の個室へ通してくれたので、心置きなく語りあえました。

 

✽朗読の時間

花崎さんはこのごろいつも持ち歩いているという杜甫の詩を朗読されました。

花崎さんが漢詩?とは、ちょっと意外な気がしますが、実はお母さまは中国の女性詩人の作品を訳されています。

松田さんは帯文も書いている花崎さんの新刊詩集『チュサンマとピウスツキとトミの物語 他』から、「沈黙が帰ってきた」を。

最後に長屋さんは皆のリクエストで「游人だより」の「さよならのあとで」を読みました。いつもより少し低めの声で読まれたそれは、目で読んでいたときより胸に迫って、わたしは泣きそうに、というか泣きました。

それで(それでなくてもそそっかしいのに)帰り際あわてたのか眼鏡を店に忘れてしまい、いま目をしょぼつかせてキーボードたたいています(苦笑)。

 

✽眠い目をこすりこすり見えない目を細めたり離したりながら、『チュサンマとピウスツキとトミの物語 他』読みました。

花崎さんの人生、仕事と恋と闘い、高揚と失意、そうしたもろもろが真摯に綴られています。アイヌの人へのシンパシーや敬意、愛情があります。

アイヌの女性(それもとびきり烈しく鋭いひと)を愛したことで、みえてくる己の欺瞞にも正直であろうとしているのがわかります。それほどまでも愛し、ともに永く暮らしたひとに去られた悲傷も。

それでも、わたしは会ったことのないトミさんのかなしみのほうに寄り添ってしまいます。それだけ、花崎さんがトミさんをいきいきと描いたからかもしれません。

トミさんも遡河魚なのだと思います。

アイヌの人が川を下り世界を経巡り大きくなって故郷の川へ戻る鮭、母なる川で果てる鮭をsipe=本物の魚・本物の食物と敬ったように、彼女も闘いの終わりに帰郷したのだと思うのです。

「オホーツクの浜辺の墓へ」

花崎さんが杜甫を読むのも、そこに母なるもの、大いなる安らぎを感じられているからなのではないでしょうか。

うちの三男が都会から戻ったのもそういう部分があるのではと、母は感じています。